前略
先日は、こちらのサイトにコメントを頂きましてありがとうございました。
ようやく「真田十勇姫(一巻目)」を読破し感想を書こうとしたところ、はたと困ってしまいました。私は基本的に映画や小説に関してネガティブな感想を余り持たず、「オペレッタ狸御殿」や「アイランド」にも良評価をつける人間だからです。
見ていて苦痛だった映画は「花のようなエレ」と「ドラゴンヘッド(SAYAKAのしぶとさには感銘を受けましたが)」位の人間が感想を書くと、「ここがよかった」「面白かった」といったパターンでどうしても終わらせてしまいます。
では貴著に対しても100%そうかというと違っていて、どうしても自分の文体と比較・分析を行いながら読んでいってしまうため若干の疑問点が出てくるのです。
これらの疑問点を感想に含めるべきかどうか悩みました。それは、自分のポリシーとして「改善の具体的な方策もしくはそれに通じる方向性(ヒント)の提示を行わない批判は、自らの問題解決能力の欠如を世の中に露出する行為と同義であり非生産的である。仮に何かを生み出しうるとするならば、批判を行った行動主体が批判対象よりも上位にいるという幻想であるが、そもそもその批判は批判対象の存在を前提とした創造性を必要としない副次的な代物であり、特に価値や存在意義を認めることはできない」と思っているからです。
私が最後に読んだライトノベルは卒業IIのノベライズでした。毎話挟まれる食事シーンのシズル感の豊かさが心に残っていますが、もう10年以上前のことになります。つまり、最近のライトノベルについては全く分からないということです。
また、大学在学時に芝居の脚本を書いたり、演出したりしてはいましたが卒業以降15年近くにわたって全く創作活動を行っておりません。ある程度の長さの小説を書いたのは今回のテーマ大賞公募作の執筆が初めてです。この時点で小説執筆における経験の浅さは明白です。
そのような自分が批評めいたことを書くのは非常にばかげた行為であるとは思いますが、貴著を読んでこんな事を感じた素人が一人いたという気持ちでお読みいただければ幸いです。
前置きはこのあたりにして、本題に移りましょう。読み始めて最初に驚いたのは次から次へと場面の転換が素早いことです。次に戦闘シーン内の動作バリエーションがとても多くて、描写が苦手な私には非常に参考になりました。
主人公の家に女性キャラクターがやってきて同居するというシチュエーションをどう処理するのかと思っていましたが、母親の「パート」「お芋の天ぷら」「家来ちゃん」という日常性の提示で何となくぼかせるもんなんだというのは考えさせられました。そんなに難しく考えない方がよいのですね。
マシラの描き方が可愛らしくて好感が持てました。ただ、マキの気持ちや性格がマシラほどよく見えないので、ユキオが彼女を好きになった動機が今ひとつピンと来ないような気がします。そのくらいにしておいた方が、混戦模様に持ち込みやすいというのもわかりますが。
全体の中では第5章がいちばん生き生きしていて好きです。個人的には全体の3分の1から半分くらい5章にしてしまってもいいんじゃないかと思うほどです。4章の三村との対決エピソードも嵐山になんとか押し込めないかとも考えました。クライマックスに入る前にガス抜きがある分カタルシスが目減りするような気がしたものですから。
ただ、疑問に思った点もあります。5章が生き生きしているのは戦闘シーンがメインになるところから来ているように感じます。1章から4章までの戦闘シーン以外の所の地の文の情景描写が比較的あっさりしているように感じられるのです。
物語の進行には必要ない所ですが、私は変なところで細かいので例えば128pのサニーがマユミになったときのシャツやスカートは無地なのか・柄なのか、どんな色なのか、開襟シャツならボタンはどこまで外すのか。172pのユキオとマキが目を見張ったマシラの弁当箱の中には何が入っていたのかみたいなところが気になってしまうのです。これは書くときも同様ですが。
あと、比喩などのレトリックを余り使わない方が、最近の読者には良いのだろうかとも考えさせられました。私には少し物足りないのですが、その辺りはどうなのか疑問に思っています。
色々書きましたが、とても楽しい話なので気持ちよく第二巻に進むことができるのは確かです。
また第二巻を読了しましたら感想を書かせていただきますのでよろしくお願いいたします。
草々