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November 10, 2008

馬場卓也先生著・真田十勇姫(第一巻)を読んでみた【手紙形式】

以前のエントリで書いた「真田十勇姫! (GA文庫)」をようやく読了できました。

日本の荒廃を憂う徳田ゲンゾウ(ユル・ブリンナー)が、徳川幕府を再興して真の国力を取り戻すまでの熱き日本再生ロマン。見所はメガネを壊してすぐ学校を休む音楽教師の代行授業。不良にボクシンググローブをはめられた手でピアノが弾けず窮地に陥るが「魂の音は力では縛れぬ!」と黒いビジソを脱ぎ捨ててかぐわしく逞しい足の指でラフマニノフを弾くシーン。濡れながら一気に読みました。ああ俺の性癖大暴走。という話じゃないのでご安心を。

どういう話かはやはり書店でお求めになって読まれた方がよろしいかと存じますよ。お近くの書店になければアマゾンとか。

で、実際の感想ですが手紙形式で丁寧に書くことにしましたよ。というのが、著者ご本人がこのサイトに来られたということは、うっかりしたらこの感想も読まれる事故が起こりうるので、瑠璃子さんに以前書いたときのようにフェザータッチの方がいいと思った次第。

 前略

 先日は、こちらのサイトにコメントを頂きましてありがとうございました。

 ようやく「真田十勇姫(一巻目)」を読破し感想を書こうとしたところ、はたと困ってしまいました。私は基本的に映画や小説に関してネガティブな感想を余り持たず、「オペレッタ狸御殿」や「アイランド」にも良評価をつける人間だからです。

 見ていて苦痛だった映画は「花のようなエレ」と「ドラゴンヘッド(SAYAKAのしぶとさには感銘を受けましたが)」位の人間が感想を書くと、「ここがよかった」「面白かった」といったパターンでどうしても終わらせてしまいます。

 では貴著に対しても100%そうかというと違っていて、どうしても自分の文体と比較・分析を行いながら読んでいってしまうため若干の疑問点が出てくるのです。

 これらの疑問点を感想に含めるべきかどうか悩みました。それは、自分のポリシーとして「改善の具体的な方策もしくはそれに通じる方向性(ヒント)の提示を行わない批判は、自らの問題解決能力の欠如を世の中に露出する行為と同義であり非生産的である。仮に何かを生み出しうるとするならば、批判を行った行動主体が批判対象よりも上位にいるという幻想であるが、そもそもその批判は批判対象の存在を前提とした創造性を必要としない副次的な代物であり、特に価値や存在意義を認めることはできない」と思っているからです。

 

 私が最後に読んだライトノベルは卒業IIのノベライズでした。毎話挟まれる食事シーンのシズル感の豊かさが心に残っていますが、もう10年以上前のことになります。つまり、最近のライトノベルについては全く分からないということです。

 また、大学在学時に芝居の脚本を書いたり、演出したりしてはいましたが卒業以降15年近くにわたって全く創作活動を行っておりません。ある程度の長さの小説を書いたのは今回のテーマ大賞公募作の執筆が初めてです。この時点で小説執筆における経験の浅さは明白です。

 そのような自分が批評めいたことを書くのは非常にばかげた行為であるとは思いますが、貴著を読んでこんな事を感じた素人が一人いたという気持ちでお読みいただければ幸いです。

 前置きはこのあたりにして、本題に移りましょう。読み始めて最初に驚いたのは次から次へと場面の転換が素早いことです。次に戦闘シーン内の動作バリエーションがとても多くて、描写が苦手な私には非常に参考になりました。

 主人公の家に女性キャラクターがやってきて同居するというシチュエーションをどう処理するのかと思っていましたが、母親の「パート」「お芋の天ぷら」「家来ちゃん」という日常性の提示で何となくぼかせるもんなんだというのは考えさせられました。そんなに難しく考えない方がよいのですね。

 マシラの描き方が可愛らしくて好感が持てました。ただ、マキの気持ちや性格がマシラほどよく見えないので、ユキオが彼女を好きになった動機が今ひとつピンと来ないような気がします。そのくらいにしておいた方が、混戦模様に持ち込みやすいというのもわかりますが。

 全体の中では第5章がいちばん生き生きしていて好きです。個人的には全体の3分の1から半分くらい5章にしてしまってもいいんじゃないかと思うほどです。4章の三村との対決エピソードも嵐山になんとか押し込めないかとも考えました。クライマックスに入る前にガス抜きがある分カタルシスが目減りするような気がしたものですから。

 ただ、疑問に思った点もあります。5章が生き生きしているのは戦闘シーンがメインになるところから来ているように感じます。1章から4章までの戦闘シーン以外の所の地の文の情景描写が比較的あっさりしているように感じられるのです。

 物語の進行には必要ない所ですが、私は変なところで細かいので例えば128pのサニーがマユミになったときのシャツやスカートは無地なのか・柄なのか、どんな色なのか、開襟シャツならボタンはどこまで外すのか。172pのユキオとマキが目を見張ったマシラの弁当箱の中には何が入っていたのかみたいなところが気になってしまうのです。これは書くときも同様ですが。

 あと、比喩などのレトリックを余り使わない方が、最近の読者には良いのだろうかとも考えさせられました。私には少し物足りないのですが、その辺りはどうなのか疑問に思っています。

 色々書きましたが、とても楽しい話なので気持ちよく第二巻に進むことができるのは確かです。

また第二巻を読了しましたら感想を書かせていただきますのでよろしくお願いいたします。

草々

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コメント

ご感想ありがとうございます。
それが是でも非でも、読んでいただいたことには変わりありませんので、ひたすら感謝する次第です。

この時は、まだ描写力にかけるものが多々あり、鋭いご指摘、ごもっともと思います。
 今ではそれが改善されているかといえば、そうでもありませんが。
 要は何とかしてチャンバラに持っていきたい、という事だったんですねえ。怒られましたが。
ともあれ、ありがとうございました。

投稿者: ばば (Nov 11, 2008 2:50:53 PM)

 つたない感想にコメントいただきましてありがとうございました。
 今、二巻目のユーリの沢庵のあたりを読んでいるのですが一巻目と比較してだいぶ描写の仕方が変わられてますね。執筆の時にいろいろと工夫や試行錯誤があったのではないかと思います。作家としての変化の過程がわかりやすいという点では三巻まとめて購入してよかったと感じているところです。
 自分は、あまり特撮や時代劇に詳しくないのですが、(ちなみに好きな時代劇映画は「吉原炎上」です。お約束ですが)チャンバラがないと、せっかくの設定が生きてこないと思います。これに関しては編集の方との話の前後がわからないのでなんとも言えないのですが…
 そこからプロとして書くことについて、いろいろ考えてみると「読み手が何を求めているのか」「何を提供すべきなのか/提供したいのか」という所に流れてしまって、やじろべえの心棒をどこに設定するかは本当に難しいのではないかと思っています。
 ただ、個人的には「現在多数に受入れられる」キャッチーなテンプレートのバリエーションを量産できることがライトノベル作家に不可欠な資質だとされているなら「その構造ってどうよ?」とも思います。
 刺激の質にダイナミックな変化を持たせることが許されない場合、人間は同種の刺激になれる習性がありますから飽きないようにするには刺激量を増大させるしかなく行き着くところはパターン化した刺激のインフレにしかならない気がするのです。
 下世話なたとえだと、一人の相手と決まった体位でしか出来ないような物で、「皆さんよく飽きずに我慢できるなぁ」と感慨にも近い感情を抱いてしまいます。私にはそんなことは絶対出来ませんし、しようとも思いませんが。
 話が脱線しましたが、読む人がおもしろいと思ったらそれでいいんじゃないかなというのが現在の気持ちです。他にも作品外で感じたことはありますが、それはまた二巻目の感想で書かせていただきます。

投稿者: たくぼん (Nov 12, 2008 12:36:02 PM)

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